はせがわ芳見の創作日記

「誰かのために生きる☆スターリィマンの愛の生き方をみつめて」 

スターリィマンのテーマソング~創作秘話(その1 原曲) 

今からちょうど10年程前
2008年1月のはじめのこと。

ある作曲家の方から、

「芳見さん、2分半から3分以内で
 歌える歌詞を作ってほしいの!

 スターリィマンって言う名前は入れないで
 スターリィマンを表現してね」


そんな依頼を受けて、、、
翌日から、歌詞の創作をはじめた。


今までは、
スターリィマンの名前を入れて、
作詞してきたけど


今回は、入れないで、スターリィマンを表現する、、

う~ん どうしようかな? 頭をかかえながら

机に向かい 

先ずは、2つの曲が収録されているCDを聴こう。
そう思って

☆スターリィマンの愛のテーマソング
☆スターリィマンの風船の歌「願いの星」  

何度も何度も、聴いた、、

そして、何を表現するのか
テーマが浮かんだ

スターリィマンが、、9つの風船を
世界中に届ける旅をしている姿と
届ける目的を、歌にしよう、、、

そんな詩へのストーリーが
イメージできた、その瞬間、、

♪ ずっと ずっと いつまでも

 きらきら生きる 地球の下
 みんなに 星を運んでいるよ
 愛の光  放ちながら
 一つ  一つ  輝かす

………………

詩とメロディーが 同時にでてきた

…………………

♪ 待ってる人が いるから
  足を止める  こともなく
  前を見て   歩いていく
  心の声に   導かれて

…………………

浮かんでくる 詩とメロディーが
その詩を 必死に書き写して

なんと、30分程で
依頼の作詞が出来上がった

依頼されていない
曲も生まれてしまったけど(笑)、、、。

この曲、、どうしようかな、、
と悩んでいる私に 

主人が

楽譜にあとで、
 起こしていただけるように
 カセットテープに
 自分で歌って 録音をしたら


あぁ!そうだね!」

私は素直に納得!

そして、すぐに
カセットテープに、録音した。


この曲と詩、
何度、繰り返し歌っても
同じメロディーになる

不思議だわ!

時間じゃない 理屈じゃない
偶然でもない 

なんか、
どこからか 伝えてくれたことを、
絶妙なタイミングで 受け取って
作品になった!

こうして 2008年1月17日
原曲のスターリィマンのテーマソング
「きらきら生きる 愛の地球(ほし)」が
生まれました。

image1

  <その2に続く>







スターリィマンの創作を描いているのは(その2)

その1より続く)


やがて、季節も11月に入ると、
母が休んでいる寝床の障子越しには、

樹齢100年を越える、庭の柿の木が2本に、
しっかりと色づいた柿の実が、にぎやかに、
なっていた。

日毎 一日一日と、 
母の命は短くなっていった。

同時に、庭の柿の実が熟し、
ぽたり ぽたりと 
地面に、落ちて行った。


そんな11月14日の夜だった。

母は、自分の母親の夢を見て
私を起こした。

「私を迎えに来たみたい」と言って、
死を予感した顔色になった。

この2日前の昼のこと、
母は、上向きに寝ていたところ、

突然、口から胃液や胆汁を
天井めがけて、
噴水のように 勢いよく吐いた。

今までも、何度も、何度も、
腐ったような匂いを放ちた
胆汁を、吐き出したが、

この時ばかりは、
あまりにも、 大量で、
もうだめかと、震えがきた。

急いで、診察してもらうために
病院に駆け込んだ。


診察中の母の背中を見ながら、
息をするのも 苦しかった。

9月の退院の時、
担当医からは、今度入院する時は、
最後の入院になりますので、
そう、言い渡されていた。

私は、念じていた。

絶対に、母を家に連れて帰ると、
神様、お願い、必死に祈った。

私の想いが、強かったのか、
母はまた、家に帰ってこれた。


それから、2か月ほど過ぎたころ、
庭の柿の実は、一個もなくなっていた。

浅い冬の光が差し込む 
縁側の先を見つめ

母は、
「今年は、鳥さんたちが、喜んで喜んで、
 柿の実を競い合って、にぎやかだったね!
 良かった、良かったねぇ」

ふと、寂しそうな笑顔を見せた。


「お母さん、来年は、お母さんに、
 一番に柿をむいてあげるねぇ」と

背中をさすった。

看病で必死だったから
私は、母に柿をむいてあげる
ゆとりもなかった。

「ごめんね お母さん!」
後悔の想いが胸に、、、

そして、母の手をしっかりと握った。

この2か月余り、
母は、寝床から、

鳥たちが、柿の実を美味しそうに、
食べている姿を見ながら、

生きていることを、実感していたのだろう。
そう、今は思う。

医師から、
余命2カ月と宣告された日から、
9カ月が過ぎた、

梅雨明け間近の7月12日の日曜日、
家族や知人、友達に、見守られながら、

母は還らぬ人となった。


今年も、実家の柿の木は、
たくさんの実をつけて、
たくさんの鳥たちで、にぎやかだ。

母には、もう二度と、
柿をむいてあげることは、
できなかった。

あれから、8年。

私は母から、たくさん愛されて、
そして、今も、愛されていることを、
感じながら、生きている。

お母さん ありがとう!

お母さんは、いつでも、どんな時でも、
私の幸せを一番に考えて、
私が喜ぶことが、 幸せで、

そう、私の大切なスターリィマンは
お母さんだよ。

お母さんの子供に生まれて
本当に幸せだよ。

だから、私は、どんな時でも、
スターリィマンを、書いていく。

そして、これからも、夫の夢を応援していく。

お母さんのおかげで、文章を書こうと思った。
それが、お母さんの愛を、私が受け継ぎ、
スターリィマンの愛を、娘に伝えていくね。

お母さんへの思い出を、形にしていくこと、
それが私の恩返しです。





 
 



スターリィマンの創作を描いているのは(その1)

寒空に光輝く 
昨夜の満月を、、
見上げながら、

image2
  (2月11日の満月)

亡き母は どんなことを思いながら
天から見つめているのかなぁ、、、

お母さん 私ね、

昨年の暮れの大掃除の時、
大切なものを見つけたのよ。

それはね、
なんで、スターリィマンのお話を
描き続けているのかを
書いた作文。


読んでみるから
聞いてね、お母さん!


「思い出を生かして」  

   平成11年   長谷川芳見 作


柿が実る季節になると
心が涙でいっぱいになる
思い出がある。


それは、今から8年前のこと、
私の母が、膵臓がんと宣告され、
病魔と闘った日々のことであった。


医師から「お母さんはあと2か月の命です」。と
告げられたのは、

9月の中旬の検査のために入院してから、
まだ2週間も経っていない、
夕焼けが、真っ赤に染まった日のことでした。

当人の母は、何も知らず、
ただ、自分の体に、大変なことが、
起きてしまった。

これから、自分は
この病院で、どうなってしまうのだろう。

不安で、不安でいっぱい。
しかし、まさか、死が近づいていることなど
想像もつかなかっただろう。


その時の私は、結婚して
小1の娘と夫と夫の母の 4人暮らし。

母が入院している病院から
車で2時間以上も離れている
埼玉県の大宮市に、住んでいた。

実家は、母が入院している、
茨城県のつくば市の隣町の石下町というところ。

母は父と二人暮らしだったので、
私は親孝行のつもりで
一人で実家に帰り、看病を始めた。


10月1日、家族みんなで旅行に行く名目で、
体調の悪い母を、退院させた。

翌日、母の姉の伯母が来てくれて
一緒に最後の思い出作りのため
2泊3日の鬼怒川温泉へと

兄家族4人、 私たち家族3人、
父と伯母と病の母の10人で

ワゴン車に簡易ベットを作り
起き上がることも やっとの母を寝かせて
出かけた。

みんな、それぞれ、 
明るく楽しそうに、よそおって、

でも、一人一人の心は
語らずとも同じ気持ちで
母を見守りながら

家族は、辛く悲しかった。

誰もが、この旅行が
最後の家族旅行に,
ならないことを,
必死で願い、祈りながら


旅行から戻り、
母は、一週間毎の通院と
自宅での闘病生活が始まった。

看病するのは、私と伯母と父。

伯母は、幼い時から、
足が不自由だったので、
杖をついての生活だった。

私は、母と伯母の二人を
お世話するようであったけれど、

伯母がいてくれるだけで、
安心できたし、励ましてくれて、
相談役としても、とても頼りになって、

母は、姉ちゃん、姉ちゃんと
甘えて、笑顔になれた

姉妹は良いなって、度々思った。


その伯母も、
10月末には、自宅に戻り、
昼間はほとんど、 母の看病は、
私一人になった。

(その2に続く)








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