その1より続く)


やがて、季節も11月に入ると、
母が休んでいる寝床の障子越しには、

樹齢100年を越える、庭の柿の木が2本に、
しっかりと色づいた柿の実が、にぎやかに、
なっていた。

日毎 一日一日と、 
母の命は短くなっていった。

同時に、庭の柿の実が熟し、
ぽたり ぽたりと 
地面に、落ちて行った。


そんな11月14日の夜だった。

母は、自分の母親の夢を見て
私を起こした。

「私を迎えに来たみたい」と言って、
死を予感した顔色になった。

この2日前の昼のこと、
母は、上向きに寝ていたところ、

突然、口から胃液や胆汁を
天井めがけて、
噴水のように 勢いよく吐いた。

今までも、何度も、何度も、
腐ったような匂いを放ちた
胆汁を、吐き出したが、

この時ばかりは、
あまりにも、 大量で、
もうだめかと、震えがきた。

急いで、診察してもらうために
病院に駆け込んだ。


診察中の母の背中を見ながら、
息をするのも 苦しかった。

9月の退院の時、
担当医からは、今度入院する時は、
最後の入院になりますので、
そう、言い渡されていた。

私は、念じていた。

絶対に、母を家に連れて帰ると、
神様、お願い、必死に祈った。

私の想いが、強かったのか、
母はまた、家に帰ってこれた。


それから、2か月ほど過ぎたころ、
庭の柿の実は、一個もなくなっていた。

浅い冬の光が差し込む 
縁側の先を見つめ

母は、
「今年は、鳥さんたちが、喜んで喜んで、
 柿の実を競い合って、にぎやかだったね!
 良かった、良かったねぇ」

ふと、寂しそうな笑顔を見せた。


「お母さん、来年は、お母さんに、
 一番に柿をむいてあげるねぇ」と

背中をさすった。

看病で必死だったから
私は、母に柿をむいてあげる
ゆとりもなかった。

「ごめんね お母さん!」
後悔の想いが胸に、、、

そして、母の手をしっかりと握った。

この2か月余り、
母は、寝床から、

鳥たちが、柿の実を美味しそうに、
食べている姿を見ながら、

生きていることを、実感していたのだろう。
そう、今は思う。

医師から、
余命2カ月と宣告された日から、
9カ月が過ぎた、

梅雨明け間近の7月12日の日曜日、
家族や知人、友達に、見守られながら、

母は還らぬ人となった。


今年も、実家の柿の木は、
たくさんの実をつけて、
たくさんの鳥たちで、にぎやかだ。

母には、もう二度と、
柿をむいてあげることは、
できなかった。

あれから、8年。

私は母から、たくさん愛されて、
そして、今も、愛されていることを、
感じながら、生きている。

お母さん ありがとう!

お母さんは、いつでも、どんな時でも、
私の幸せを一番に考えて、
私が喜ぶことが、 幸せで、

そう、私の大切なスターリィマンは
お母さんだよ。

お母さんの子供に生まれて
本当に幸せだよ。

だから、私は、どんな時でも、
スターリィマンを、書いていく。

そして、これからも、夫の夢を応援していく。

お母さんのおかげで、文章を書こうと思った。
それが、お母さんの愛を、私が受け継ぎ、
スターリィマンの愛を、娘に伝えていくね。

お母さんへの思い出を、形にしていくこと、
それが私の恩返しです。